
―すごい、縁がどんどんと繋がっていったのですね。ちょっと話が戻るんですが、そもそも3カ所ではじめるに至った経緯はどういったものがあったのでしょうか。
誠光社は、店長の堀部さんと元々知り合いだったことから実現しました。Titleは飛び込みです。
西荻に住んでいる知人から話しを聞いて、その日のうちに訪れて相談しました。
ある程度まとまっていた企画書があったのでそれを見せてOKをいただいて。
―偶然の出会いから絵本作家の道が生まれたけれど、そこにたどり着くまでには、やはり営業、という行為があってこそ、だったのですね。
でも、切り絵やドローイングなど、ジャンル問わず絵を描く、ということは元々お好きだったのですか?
中学で挫折したんです。素描(デッサン)とか、立体的なものを描くのが苦手で。小学校ではいろんな手法を使うことができて、自由に描かせてもらっていて楽しかったけれど、中学になって「こうしなきゃいけない」と「描き方」が始まって。
ドロップアウトしたんですよね、ははは。
―では、10代のはじめ頃まで…小学校まではずっと絵を描いていらっしゃったのですか?
ずっとってわけじゃなかったんですが、陶芸が好きでした。
―ものづくりがお好きだったんですね。イベントというのは、天才算数塾ではじめから関わっていらしたのですか?
はい、はじめの3年は占い師であるパウロ野中さんと運営していました。インド式算数塾もやっていました。
3年間で1人だけ通っていました(笑)
今はレンタルスペースとして運営しているんですけど、最初の3年間はインド式算数塾と並行していました。
―その流れで今も天才算数塾、という名前なんですね。ここに来る以前から展覧会の企画運営をされていたのでしょうか。
はい、仕事、と言えるほどではなかったのですがイベントは行っていました。展覧会以外に、CDや出版も行ったことがあるんです。自費出版でイラストレーターの黒坂麻衣さんの画集を作りました。CDは、柴田聡子さんという方の1stアルバムを作りました。
―お話しを聞いていると、常にモノづくりの方々に囲まれていた環境だったんですね。
イベントをやっていたので、音楽関係者や美術関係者と会う機会は多くありました。CDや本を作った時も、いろんなお店を回って営業していました。
―天才算数塾の限定販売ではなく、流通させていたのですね。
これまでは人のために回っていたけれど、今回は初めて自分のために営業しています。
絵本の宣伝活動で、今までのいろんな経験が活かされていますね。
福音館書店の営業の方も編集の方も協力していただき、チームのような形で進めています。
―展示とか、制作、販売の経験は、今の絵本を出版したことに役立っていますか?
もう、今回はすごい…最大限に活かされていると思います。
本を作るのって、大変ですよね。自費出版の時に在庫を抱える大変さを知りました(笑)
―今回、ダミー本がありますよね。お手製の、のりで貼り合わせた形のもの。こういった形のものをいただいたの、初めてだったんです。こちらをいただいたのが2月。絵本の発売は5月。随分早くから営業されているのは、今までの経験があったからでしょうか。
ダミー本については、福音館書店の方に提案していただきました。あったほうがいいんじゃないかって。
僕もたまに手伝いに行くんですが、仕事の合間に、カッターで切って、貼って、を手作業で行ってくれてできたものなんです。

―手作りなんですね。ダミー本には、この本の制作に携わった方の名前が載っているのですが、デザインを担当されているのって佐々木暁さんなのですね。
はい、「文藝」の表紙と扉絵のオファーをしてくれた方です。川島小鳥さんの『明星』などのデザインを手掛けている方です。
―ほしぶどうって名前いいなって思ったのですが、由来はどこから、でしょうか。
DJの頃は「DJぷりぷり」と名乗っていました。そこから金太郎になり、セクシーキラーに変えて…
絵本を作る、という段階になった時に、天才算数塾を一緒に運営していた占い師のパウロ野中とファミレスで話していた時に「ほしぶどう」でいいんじゃないかって話しになったんです。
占いの結果ではないんですけど(笑)
―イラストレーターとして活動するために生まれた名前なんですね。
「文藝」の方では星葡萄で活動しています。
(つづく)
★おまけ★
ほしぶどうさんのすがおみせて!
