学童という壺からでてくるこどもたち。

放課後、こどもたちが遊ぶ公園のすぐそばに同じ学校の子達が通う学童がある。 晴れのときは学童の子達も外に出ていいらしく午後15時~16時くらいになると扉から子供たちが飛び出しておのおの広場で遊びだす。 友達に会えず公園で遊んでいた息子はきゃっきゃと遊んでいる子達を見て「いいなぁ。俺も学童入りたい」とこぼす。 入ってもいいけどさ…学童せまいから、やんちゃなあんたは先生に怒られるのが関の山やで…と思いつつ「そうだねぇ、申し込み間に合わなかったなぁ。」とトボけておく。 学童の子達は、のびのびと遊んでいた。 うんていで遊ぶ子、鬼ごっこする子、ボール遊びする子……どの子も遊びに夢中になっている。 けれど、公園で遊んでいる子達のようにいつまでもいていいわけではない。 時間になると先生の合図でまた、学童のある建物へ帰ってゆく。 息子は、静かになった広場を横目で見ながら、公園で出会った子達と遊ぶ。 学童の子たちは、好きな時間に遊びに出られるわけではないし、先生から禁じられている遊びはできない。自由なようで自由じゃない。 いつも決まった時間に外に出て、先生の合図で帰ってゆく彼らを繰り返し見ていたら「ことろのばんば」という絵本を思い出した。 日が沈んでも遊んでいる子達をさらうやまんば。ある日、栗を拾いに行った兄がやまんばにさらわれてしまった妹は、やまんばに会いに行くために山へ向かう。 妹が見たのは、壺に入れられた子供たちが一定時間遊び、また時間が決まると壺に吸われて閉じ込められる光景だった。 やまんばは、子供を食べていたわけではない。ただ、ひとりじめしていただけだった。 むすめは酒の入った壺でやまんばに対峙する。無事、こどもたちを助け出したむすめだったが、あとに残されたやまんばは悲しい声を響かせていた。 (『ことろのばんば』長谷川摂子・文/川上越子・絵 福音館書店) 幼稚園の頃、何度も何度も繰り返し読んでいた絵本。絶版だけれども、記憶に残っている大人も多く、今も図書館で借りるなどして読み継がれている。 こどもにとっては怖いもの見たさで読みたくなる絵本。 大人にとっては…? もしかしたら共働き社会の現代、やまんばが一日の一定時間寂しさを紛らわせるためにこどもをただ遊ばせてくれると知ったら喜んで預けたがる大人がいるのかもしれない。 学童の扉が、大きな壺の入口に見えた。

ごあいさつ

2025年の春。いま一度「好き」を原点に立ち返ろうと思い、閉じるはずだったサイトを継続することにしました。 千葉でシェア本屋を運営していたこと。親子で読書する楽しみを届けたかったこと。 どれもうまくいかなかったけれど、そこから少し距離を置くと歪みが見えてすこしずつ、前を向く力もでてきました。 基本的には前を向いて。 ときどき、過去を手繰り寄せて。 児童文学と、こどものこと、綴ろうと思います。