現在、こどもに関する団体や、企業などでは一般的に
「子ども」表記が使われています。
「子ども」表記の歴史は古く、すでに常識化されていることもあります。
当店は、以下の理由から「子供」表記を使用しています。
■子供達は「こども」を「子供」と習う、ということ
子供達は、時期が来たら学校で「こども」という文字は「子供」と書く、と習います。
「子ども」とは習いません。
大人たちから教わった事を、大人たちが否定する。
なんだか、子供達に無意味な戸惑いを与えているような気がしてなりません。
もし、子供達に「『子供』と書くのに、大人はなぜ「子ども」と表記するの?」と訊かれても
私自身もわからないので「なんでだろうね」と一緒に考えざるを得ません。
どなたか、明確に教えていただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。
■子供をモノのように扱っていた時代は、ない。
「子供」表記を嫌う理由として、「子供をモノのように扱っていたという歴史が刻まれている」
という指摘があります。
確かに、かつてはわが子を養子に出したり、人買いに売ったりする家もありました。
ですが、それは「子供をモノのように扱っていた」のではなく、
「貧乏故にそうせざるを得なかった」ということこそが事実なのです。
かつて、江戸時代では父親が育児に積極的に関わっていました。
また、地域ぐるみで育児をする習慣があり、7人の「仮親」がいました。
養子や人買いに出していた時期に、江戸時代は重なります。
今の時代も教育にお金をかけることができる家とそうではない家があるように、
家庭によって、選択せざるを得ないことがあった、というだけのこと、と捉えています。
■「子供」表記も理解してほしい、という思い。
だからといって、「子ども」表記を使用している方々を否定するわけではありません。
文科省でも2013年に公文書では「子ども」「子供」は「子供」に統一する、と決定されましたが、
これはメディアでの「こども」「子ども」表記を制限するというわけではありません。
一人ひとりが、それぞれの意思を尊重できる社会であってほしい。
『はれときどきぶた』という、とても面白く、楽しい児童文学を描かれている矢玉四朗さんという方がいます。
矢玉さんは、「子ども教の信者は目をさましましょう」というサイトを運営されていますが、そのなかで
「おかげで、児童書の業界から冷たい扱いを受け続け、生活の危機にも陥った。」とあります。
「子ども」表記を強要するのではなく、「子供」表記を使用することも、許容できる社会であってほしい。
「子供」を使用しているからといって、決して「こどもを軽視している」というわけではないことを
ご理解いただけましたら幸いです。
もちろん、取材者さんの意向で「子ども」表記が望ましい、という場合はもちろん応じます。
大事なことは、どちらか一方を否定するのではなく、双方が歩み寄れる社会を作ること、だと思っています。
こんな表記問題、きっと子供達が聞いたら
「おとなってばかなことで悩んでるんだね~」なんて思われないか、と思いつつ。
ここに記します。