4姉妹の成長が頼もしい『若草物語』

母親として疲れたとき、物語に登場する母親に会いたくて本を開くときがある。

「一緒にお風呂入りたい」(まだしごとが)
「ひとりでねたくない。いっちょにねよう」(けんかになる)
(はやくねてほしい。夕寝からおきた…仕事がのこってる…こどもがさわぐ…)

ああ、やだな。こんなこと、思いたくないな。
と思いながら、子供たちが寝静まるのを待って、本を手に取る。

『若草物語』には、子供の成長を喜ぶ母親と父親が登場する。

世界名作アニメ劇場にも取り上げられた『若草物語』は1868年にアメリカで出版された少女たちの成長物語だ。

お金持ちとの結婚を夢見るメグ。
小説家になりたいジョー。
ピアノが好きなベス。
絵を描くのが好きなエミリー。

なんとなく楽しそうな4姉妹、という記憶だったけれど
改めて読みなおすと、やはり変わらずかしましい4姉妹だった。

お互いの好きなこと、苦手な事を共有し合い
ときに愚痴を吐いたり、罵ったり。

現代の日本の兄弟姉妹でもよくみる小競り合いが描かれていて
彼らは真剣に怒っているのに、読んでいるこちらは微笑んでしまう。

4人でいると、いつでも、どこでも
喜び、怒り、悲しみ、幸せが訪れる。

ピクニックでも
お屋敷でも
パーティーでも
自宅でも。

うちもそうだ。
長女の得意、次女の得意、末っ子の得意があって
ときどき、邪魔をしたり、「だいきらい!」と言ったり。
けれど10分もすれば、もう体を寄せ合って遊んでいる。

あるいは、あきらめたように相手を受け入れて遊んでいる。

自宅でも
お店でも
公園でも。

3人でいると、いつでも、どこでも
喜び、怒り、悲しみながら
互いの意見や主張をぶつけあいながら、成長している。

物語の4姉妹は末っ子も将来を見据える年齢のため
めいめいが夢を語り、励まし合っている。

ああ、いいな。
うちの子たちも、互いに素直を夢を語り合い
励まし合える関係になれるかな。

子らの思いはそれぞれと思いながらも、ちょっぴり未来を想像してみる。

4姉妹の母親、マーチ夫人は作中では「母親」としてしか登場しない。
ひとりの女性としての焦りや本音はみじんも出さず
母として、牧師の妻として、ひたすらに子のため、町の人のために尽くす。

どんなに周りが散らかっていても
「お母さまの場所」はいつもきちんと整えられていて
ジョー曰く「おおこり(お怒り)になったことなんか、ない」
という。

母親である自分を保つため、子にはっきりと境界線を引いているのだ。
「ここから先はお母さまの場所」と。

完璧な母親だな、と思いきや、そうでもなく
ジョーがエミリーに怒り、割れた氷の中にエミリーが溺れてしまったときの会話では

「怒りを鎮める方法」として
「おこりっぽいのをなおすのに40年くらいかかった」こと
「いまでもなにかしら、おこらない日はない」ことを話し、
怒りを鎮めるために嫌味な手紙をすぐに暖炉にくべるなどの描写を用いて
彼女の苛立ちや心細さが垣間見えることもある。

マーチ夫人は、完璧なのではなく
愛する者たちの前で、自分はどうありたいか、
を実直に行動しているひとりの女性なのだ。

マーチ夫人のあたたかな眼差しと、4姉妹の元気な姿に勇気づけられ
本を閉じた。

明日の朝は、また、「母親」として前を向いて行こう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です