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―フランス語が学べると、フランスでの生活も楽しくなりましたか?
―はい、楽しみは以前より増えたのですが、厳しい学校で宿題が多くてこなすことに精いっぱいで。
夜中の3時~4時まで勉強することもよくありました。
―夜中まで勉強とはつらいですね。
―父がいつも仕事終わりに夜中まで一緒に宿題や勉強を手伝ってくれていたんです。
一人じゃなかったのは心強かったですね。
父も異国の地での仕事が大変だったはずなのに、本当に感謝しています。
―お父さん、かっこいいですね。親子で一緒にがんばっていたのですね。
―私にとって父は憧れの存在ですね。
好きなフランスやフランス語を活かして仕事で活躍して、家族ともたくさん過ごす優しい父で。
そうですね、平日は根を詰めてがんばっていたので、土日になってもパリの街を散策する元気がなく
ずっと家にいてへとへとになった体を癒していました(笑)
―それはもったいない。
暮している間、ほとんどパリで遊ぶということはなかったんですか?
―そうですね、たまに家族についていって出かけるぐらいで。今となっては勿体なかったなと思っています。
まぁ、どちらにしてもあの頃の私にはそんな体力残ってなかったんですけどね(笑)
最後、帰国が正式に決まった時に「やったぁ、これで遊べる!」と思いっきり遊びました。
受験生のような生活から解放されて、ギャップが激しかったですね。
―帰国後は、まったくフランス語に触れなかったのですか?
―帰国後は大学進学の時期で、日本語を学ぶ大学を選びました。
そこでフランス語の授業は取っていたのですが、初級のフランス語だったので少し浮いてしまいました。
―日本語を選んだのは、自身の日本語に自信がなかったから、でしょうか。
―それもありますね。小さい頃はほぼ両親の日本語しか聞かずに育ちましたし、
両親が汚い言葉やネガティブな日本語は教えなかったそうなので、
帰国してすぐの頃は分からない日本語の言葉も多くて苦労しました。
高校生で帰国後もまた自分の日本語に自信がなかったんです。
―日本語にも興味があったから、受けてみよう、と。
―高校でも文系に進んだぐらい文学や書くことも好きだったので、いいなぁ、と思ったんですね。
―その大学ではどんなことを学んだのですか?
―日本文学や児童文学について学ぶ、という講義もありましたが、創作も多い印象でした。
詩や俳句、短歌や童話などを創作する授業もあって、まさに「日本語の表現」について学べたことが魅力でしたね。
教授たちも魅力的な先生ばかりで、他にも得るものがたくさんあったのでここに入学して本当に良かったと思っています。
短大の文集で、父親を主人公にした彼女の絵本が選ばれた(『ゼッケンパパ』作・絵 福本舞衣子)
―その大学を卒業されたあと、就職ではなく編入の道を選ばれたのですね。
―やっぱり、もう一度フランス語を学びたいなと思って。あれだけ頑張って勉強したのに、
このまま忘れるのはもったいないな、と思い、フランス語を学べる大学を受験しました。
(つづく)
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著者プロフィール
福本舞衣子
家族とともに1歳でフランスに渡り、計約10年間、幼少期と10代をパリで過ごす。高校時代は、地元フランスの進学校のL文系へ進み、
フランス文学や詩について学ぶ。日本の大学でもフランス語を専攻。現在は日本在住。
著書に『星の王子さまが話してくれた世界一幸せになれる33の言葉』がある。
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